人生はトゥルーマンショー

右に落ちたらサヨウナラ~

40代後半待ったなし!人生ギリギリ境界線日記。

何者にも成れない人間

 

おはようございます。

 

最近、過去から現在を振り返る事が良くあります。自分と同年代の人間を見渡せば、それなりに何かを成した「男の顔」が垣間見える。それは、会社の経営者だろうが使用人の立場だろうが立ち位置は関係なく、己が道を惑わぬ、ある種の責任感を持った男の顔とでも表現すべきか。

 

その手の顔は、作りの良し悪しではなく間違いなく「男前」の良い顔をしている。

 

それに比べ自分の有り様はどうだ。社会に出てから己が生き延びる為だけ、家族を養う為だけに手段や道(職業)を択ばず生きて来た。そこには何の夢や志もなく、犬畜生が生きる為に餌を求めるその日暮らしと何ら変わりない。

 

鏡に映る己の顔は、前述の男の顔とは程遠い情けない「不細工顔」を晒している。

 

こんな風に思う事が多くなったのは、平均寿命の大方6割を終え歳を取った事も関係しているのかも知れないし、そんな後のない年齢での己の社会的立ち位置が「すごろく」でいう処の所謂「振り出しに戻る」の状況になったからかも知れない。

 

ただ、如何様な状況下はさて置き、遅まきながら「自分に足らなかったもの」はハッキリと見える様になった。それは、道を定めたら最後まで殉ずる「覚悟」が欠落していた事の一点に尽きる。

 

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勿論、細かく言えばまだまだ足らなかったものは多い。今にして思うと、当時の私は若さ故の自惚れが人一倍強く喰えないガキで、山っ気も強くチャンスと見れば熟考などもせず喰らい付くダボハゼ、積み上げるといった行為を馬鹿にする呈のガキだった。その癖、良く言えば「危険察知能力」は人一倍長け「執着心」も欠落していたので、自営をしてても勤め人をしてても、それが斜陽となれば「致命傷」になる前に容赦なく切り捨てる、ろくでもないカスだった。(現在でもカスだが)

 

まぁ、日曜日の朝から己の回顧録を記して、神に懺悔をするつもりも免罪符を買うつもりも一切ない。ただ、己が人生の中で唯一大きな後悔している事は「何者にもなれなかった」のではなく「何者かになる為の努力」を怠った事だ。

 

勿論、人間は生まれながらに差がある訳で、努力をしたから成功するとか、怠ったから成功しないとか、そんな単純な話ではない事は重々承知している。

 

人生をよくマラソンに例えられるが、権力者や財閥の子息令嬢等の恵まれた者は、生まれながらにスタートラインがゴール地点の様なものであり、庶民貧民の出は一生足掻いてもそいつ等と同じスタート地点になど立てやしない。

 

しかし、私が言いたいのはそう言う事ではなくて、自分が恵まれている(五体満足で生を受け、大なり小なりチャンスのある国に生を受けた)事に気付きもせず、上ばかりを下から羨望した挙句、「何者かになる為の努力」を馬鹿の所業と切り捨て、場当たり的に人生を歩んで無駄にした己が怠慢さを後悔をしているのだ。

 

成功するとか勝ち組だとか、そんな下らない呈の話では一切ない。現状が成功者であろうが乞食であろうが世間の評価なんぞはどうでも良い。ポジションなどで人間の真価は決して測れるものではない。人は他人を欺けても自身は絶対に欺けないのだ。

 

何度も重複して申し訳ないが、私は「どんな状況でも己が人生を恥じない、自分に胸を張って誇れる生き方」をせず、無為無考に一度きりの人生を歩んだ事が悔やまれてならないのだ。

 

まぁ~、過ぎた事を悔やんでばっかりいても致し方ない事。今からでは大した事も出来ないが、少しでも自分に恥じない生き方を心掛けて行きたいと切に思っている。

 

 

 

 

 

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